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海を相手に「主人といっしょに働ける喜び」を大事にしてがんばる 扇洞 柏﨑久美子

この日は、三月にしては珍しく風のない穏やかな海だったのを覚えています。朝から主人と息子と三人でワカメの間引き作業に出ていました。作業を始めて間もなく筏を巻き上げる機械が故障してしまったので帰港し、夫は部品を買いに釜石へ行き、私と息子は早めの昼食をとりながら、夫が戻るのを待って、また、きょうで終わる作業に向かいました。

ところが、順調に作業を進めている時、今度は船がバタバタ鳴りだしたのです。向いの山は花粉で白く被われ、「松倉」の岸辺がガラガラと崩れました。「何、これ?」とぼけっとしている私と息子に、夫が「とったり(筏を船に結わえているひも)を出刃で切って離せ」と大声で指示したかと思うと、船はすぐに沖に向けて走り出しました。「これはただ事ではない。このまま娘達と会えないのではないか」と思ったりして、何だか悲しくなり涙が出てきました。

千歳の沖辺りまで出て停船し、様子を伺っていると、間もなく、岸の杉が生えている根元辺りまで海面が盛り上がっていきました。大きな大きな波が襲っていったのです。そして、千歳の港からは赤い大きな物が流れ出て来たのが見えました。吉浜海岸の方に目をやると、水面から水煙が立ってよく見分けがつきません。この時、海水浴場から田んぼの方まで津波が押し寄せて行ったのだと思います。

そんなとき、船にいる私達は、あたかも湖にいるかのように全く静かでした。「ああ、これでは港に置いてきたトラックが流されてしまったなあ」などと、そんな程度にしか考えていませんでした。ところが漁業無線から、越喜来の人達の話が聞こえて来ました。「細浦が壊滅だっざ・・・。」「おらいの母ちゃん、大船渡のマイヤさ行ぐってだったども大丈夫だべがなあ」など、力のない声ばっかりです。「これは大へんな被害が出ているんだなあ」と思いました。

その内に、沖にいる私達の船のいるところも、潮の流れが速くなったり、ゴミが流れてきたりするようになってきました。余震は続くし、とても港には帰れません。そのとき、小さい舟で作業に出ていたおじさんも舟を寄せてきていっしょになりました。

暗くなってから雪も降ってきて寒くなりました。でも、二日前からブリッジのヒーターが故障して使えませんでしたし、食べ物は、チョコレート一枚と海苔が三枚しかありません。それを四人で分けて食べました。

辺りが真っ暗になってから、ゆっくりと根白の漁港に近づいてみました。ところが不思議なことに、どこを走っても筏にぶっつかりませんでした。ぶっつかるどころか、船のライトで照らして見るかぎり、筏が見えないのです。見えるのは、木の枝や丸太、そして底を見せて浮かぶ舟なのです。漁港の入り口では、内側に入れないで行ったり来たりしている他所の船の灯りだけが見えて、漁港の外灯も根白の部落の家々の灯りも何も見えませんでした。諦めて、沖に引き返し、夜が明けるのを待つことにしました。

明け方、四時頃、辺りがうっすらと明るくなってきたとき、おじさんが自分の舟からラジオを持ってきてくれました。その時、最初に耳にしたのが菅直人総理大臣の「国民の皆様、落ち着いてください・・・・」という声でした。「これは、ここ三陸ばかりではなく、日本中が大へんなことが起きているんだ」と思い、胸が締め付けられるようになり、また涙が出てきました。

朝になって、明るくなってから、私は比較的損傷の少なかった扇洞の漁港から陸に上がることができました。家ではじいちゃんとばあちゃん、そして子ども達が心配して待っていてくれました。夕方になって夫と息子も帰ってきて、まずは家族が皆無事でほっとしました。

あれから一年になりますが、今、思い出してもあの時の驚きというか、胸に抱いた不安は忘れられません。一年間苦労して作ってきて、刈り取り寸前のワカメの筏が見あたらないのです。見あたらないどころか瓦礫となって寄せ集まっているのですから片付けるのも大へんです。港は崩れ、いつもきちんと引き揚げてある舟がきれいさっぱりと流されてしまいました。「漁業は絶望」だと思いました。

それが今、吉浜には新しい希望が見えてきました。何と秋には「鮑」採りが出来ましたし、ここに来てワカメの刈り取りが始まったのです。こんなに早く復旧できるなんて考えられませんでした。これも、国や県、市からの補助があってのお陰です。また、全国から寄せられる救援物資にも感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

これからもまた、「吉浜の海を相手に、主人といっしょに働ける喜び」を大事にしながらがんばっていこうと思います。

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