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あ の 日 後山 山崎多喜子

あの日、畑に出ている義母に少し手伝おうと、裏口から二・三歩外へ出かけた時、ドーン! グラッグラッ! 「ウワーッ、オッキイイ!」庭へと回るその時、ビシッビシッと大きな音と共にいたる所で地割れが・・・。ドスッ と石垣から石が落ちる音、ガラガラと屋根から瓦も落ちた。畑の方を見ると義母が四つん這いになり、右に左に揺れるばかりでその場から動けないでいた。「ばあちゃん、こっちこっち!」呼べども動けずにいたので、畑に駆け上がり、「オッカネェ!オッカネェ・・・」と言いながら私の手にすがる義母を、安全と思われるところまで連れて下りた。「あっ、除湿器かけっぱなしだった」急に心配になるが、揺れがいっこうに収まらない。娘が心配になり、近くにある娘の職場に行こうと思っても、怖がる義母は未だに私の手を握りしめたまま動けずいた。その内に娘からメールが入る。「大丈夫?」ところが、返信する間もなく携帯はただの箱になってしまった。

地割れや石が落ちる鈍い音の中に、「パーン」という破裂音も聞こえてきた。「どこかで花火? そんなはずはないのに。」何日か後で、水道管のジョイントが割れる音だったと判明した。

ふと、沖の方を見ると増館の下の磯に、見たこともない黒い大きな岩が現れていた。そこにみるみる白い泡が湧き上がってきたと思うと、とたんにその岩は見えなくなってしまった。「これが津波だ」と、茫然と眺めていた。

やがて、小雪が舞い、風も冷たくなってきたので、揺れの合間を見て納屋からビニールシートを持ち出してきて二人でくるまって寒さを凌いでいたが、少し落ち着いてきたところを見計らって家の中の様子を見に中に入ったら、棚の中で壊れているものはあるものの、収納のほとんどが引き戸なので飛び出している物は無かった。ただ、家が玄関を中心にして左右に開く形で少し傾いたせいで箪笥が壁にもたれかかるようになっていた。不思議なことに、ガラス戸が外れて倒れていたが、一枚も割れていなかった。

辺りが暗くなってきたので義母と二人で家の中に入り、主人と娘の帰るのを待つことにした。二人とも遅くなって帰ってきた。娘は「少し片付けを手伝ってきた」と言っていた。主人は、仕事場で津波に追いかけられ、あと一歩のところで崖によじ登って助かったという。車は津波に呑まれてしまい、弟の家から車を借りてきたそうだ。夜、遅くになってから一台の車が来て、「誰だろう」と思ったら、北上にいる息子が実家を心配して駆けつけて来たのだった。

夜中にも大きな余震があった。心配だったので、「位牌」と「貴重品」、「着替え」をカバンに詰めて、この晩は車に待避して一晩過ごした。

今回の大震災では三十年以上も昔の物が大活躍した。そっちこっち穴の開いた薪ストーブ、練炭、湯たんぽ。洗濯は手洗いで・・・・。夜明けとともに起き、日が沈めばローソクを点けて、余震に震えながら炬燵の周りで寝る日が続いた。電気もなく、不安で寂しい夜だった。

この間、北上の息子と連絡をとりながら、わざわざ新潟から物資を運んで来てくれた息子と友人、身を粉にして働いてくれた自衛隊や警察の方々、消防団、遠くから来てくれるボランティアの方々、全国から、そしていろいろな国からの支援物資などなど、人の温かさや優しさが身に沁みた日々だった。

自分には何ができるのだろうか。自分で出来ることから少しずつ始めていこうと思う。津波の怖さと様々な教訓、そして世界中の多くの人達への感謝の心を忘れずに。

津波体験記
間一髪の脱出
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「あの日 あれから」
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千年に一度の大津波の体験
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あの日
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直立した壁「津波」
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定置網大謀さんにインタビュー
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[寄稿]組合の復旧・復興
漁協組合長 庄司尚男
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