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震災後の大野公民館活動について 大野 菊地正人

三陸支所で税金の申告を終えての帰り、バイクのガソリンがなくなっているので木川田石油で給油しようとしている時でした。地震です。それがなかなか止みません。だんだん大きくなり、スタンドの屋根が大きく左右に揺れ、スタンドの天井に付いていたライトが二つ落ちてきました。「これはただ事ではない」と思いました。近くの橋の工事をしていた人たちは仕事を中止し、橋のたもとに避難しました。国道四五号線には、停車した車がずらーっと並んでいました。

揺れが収まるまで五分くらいあり、すぐ停電してしまったので給油はできなくなりました。仕方なく、バイクを押して大野まで帰ったのですが、「津波が絶対に来る。」と思いながら、道々、そんな時に何をしなくてはならないかを考えながら歩いてきました。

家に戻ってから、仕事で大船渡に行っている長男と次男の安否が心配されるので、家にいた三番目に運転させて大船渡に行ってみたのですが、まず二人とも無事であることが確認できてほっとしました。ただ、三陸地方が大津波に襲われたことを知って本当に驚きました。「津波が来る」とは考えていましたが、これほどの大被害になるとは思ってもみませんでした。

幸い、私達の大野部落は海から遠く、津波被害の心配はありません。それでも、停電はするし、電話は不通です。灯油やガソリンもありません。皆、生活に支障が出てくることは分かっています。

そこで、大野部落では次の日、一三日に役員が呼びかけて全員が公民館に集まり、「みんなで協力し合ってお互いに助け合おう」ということで、
○ 地域住民の食料として、米を出し合って共同で「おにぎり」を作って配給すること
○ そのためのご飯を炊くなべと暖ををとる薪ストーブを持ち寄ること
○ 籾を持っている家では精米機のある菊地隆宏君のところで精米してもらうこと
○ 吉浜災害対策本部から配給されるガソリンは精米機を稼働させるために使用し、各自の車に分配できないこと
○ 男は、地震で壊れた瓦やずれた瓦を直したり、壊れた屋根の雨漏りを防ぐためのシートをかける作業をすること
○ これから毎日公民館に集合すること
を確認し、すぐに活動を始めました。

煮炊きに必要ななべやストーブはすぐに集まりました。住民は、三六世帯、一二三名であり、三グループに分かれて、一日に二食分のおにぎりを配給することにしました。煮炊きに必要な薪は丸正製材所から提供して貰いました。

この取り組みを四日間実施しました。その内に電気が来てからは炊き出しは中止としました。そしてこの後は、吉浜地区対策本部からくる救援物資の配給や連絡のため、公民館役員と行政連絡員の班長が対応することにしました。

大野部落では、今回の取り組みを通して、地域住民の連帯感はいっそう強くなったように思います。いずれにせよ、私達の住んでいる部落はまとまりのいいところと言われてきました。大正一〇年前後には既に集会所施設を作っていたそうですし、その公民館には学校の先生を宿泊させて夜学をしたりしたそうです。

この話からも分かるように、先人達が努力と智恵を出し合って仲良く生活し、住みよい環境を育んで下さったわけです。私達はこのような地域を作って下さった先輩に感謝し、今後、このような地域の良さをみんなで守っていくべきだと思います。

最後に個人的な考えですが、今回、吉浜が被害が少なくて済んだのは、明治時代の吉浜初代村長「新沼武右衛門氏」(屋号「館」)が、明治二九年の大津波の後に全国に先駆けて住居の高台移転を実行したことと、昭和八年の三陸大津波にも被災した家を、山を削って高台移転させ、道路を上に作り(現在の吉浜~荒川線)、「これより下に家を建てるな」と言って住民に言い聞かせた柏﨑丑太郎(屋号「大田新屋」)村長の功績を抜きにすることはできません。そして、住民はその指導に忠実に従ってきました。それだけ二人の村長に寄せる住民の信頼が大きかったということだと思います。

そこで、今回の大津波を契機に、二人の村長さんの功績を末代まで風化させないように、地域住民が一体となって「顕彰碑」を建立すべきだと考えます。地域の皆様宜しくお考え下さいますようお願いいたします。

津波体験記
間一髪の脱出
根白 小坪智幸
「あの日 あれから」
下通 欠畑時子
千年に一度の大津波の体験
千才 佐藤善公
思い出の津波石
下通 柧木沢正雄
養殖筏は消え防潮堤は
根白 渡部 寛
記憶をたどりながら…
千歳 水上和子
巨大地震と大津波に遭って
下通 柏﨑タホ子
海を相手に主人といっしょに
扇洞 柏﨑久美子
遙か遠く 奇妙な水中が
根白 白木澤行夫
あらためて先祖に感謝する日々
中通 柏﨑功夫
あの日
後山 山崎多喜子
直立した壁「津波」
扇洞 柏﨑博七
大六山林道を通って帰った
根白 白木澤行夫
吉浜の青い穏やかな海の眺め
増舘 菊地きみ子
震災後の大野公民館
大野 菊地正人
その時、根白部落は
根白 木村茂行
吉浜の農地復興を考える
大野 菊地耕悦
定置網大謀さんにインタビュー
根白 東 邦博
鍬台トンネルで停車した三鉄
三鉄 休石 実
[寄稿]組合の復旧・復興
漁協組合長 庄司尚男
[寄稿]吉浜の津波の歴史
郷土史家 木村正継
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