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漁業の復旧・復興に向けた取り組みについて 吉浜漁業共同組合代表理事 組合長 庄司尚男

1 東日本大震災・大津波にかかわる当組合の被害状況について

平成二三年三月一一日午後二時四六分、東北太平洋沖で国内観測史上最大級となるマグニチュード九・〇という大きな地震が発生し、この地震によって私達の想像をはるかに超える巨大津波が襲来して、当地区内におきましても尊い人命が失われ、家屋も流失する等の被害を受けておるところであります。犠牲になられました方々に対し、改めて心からご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災されました方々に対しまして心からお見舞い申し上げるところであります。

当組合といたしましても事務所を始め漁業関連施設が壊滅的な被害を受けており、二九六隻の登録漁船の内、被災をまぬがれたのは僅か一二隻のみという甚大な被害となりました。ワカメ・ホタテ・ホヤ養殖施設四九四台(行使台数)も全て流失しております。漁業生産施設被害、漁船被害、漁具被害、養殖生産被害等合わせた被害総額は二十二億三千六百七十八万円という大きな被害となったところであります。今回の大津波は永年に亘り築き上げてきた組合員の生活をも一瞬の内に奪ってしまうという、私達誰しもが経験したことのない組合創立以来未曾有の大被害となりました。

私が今さら申し上げるまでもなく、皆様方もご承知の通りでありますが、当地区では明治二九年、昭和八年の三陸大津波の教訓から家屋が高台に集団移転をしたことによりまして、今回の大津波では家屋の被害も全壊・半壊が四軒、地区内の犠牲者は一名ということで他の地区と比較しますと災害も最小限ということになりました。先人の教えが生きたものと思うところであります。私達は今回の津波を教訓として先人の教えを後世に伝える責務があるものと思っております。

平成二十二年度決算では、この未曾有の津波の襲来により固定資産、購買品、加工品の棚卸し資産等の流失、滅失による津波被害損失金として一億五千八百三十八万六千円を一括処理したことによりまして、一億四千百二十万三千円という当組合創立以来の多額の損失金の計上を余儀なくされ、災害とはいえ誠に残念な年度となったところであります。

先人の方々のたゆまぬ努力によって、永遠に亘り経営基盤の強化を図るために積み立ててきました特別積立金を全額取り崩したうえに法廷準備金も一部取り崩ししなければならなかったことは、誠に慚愧に堪えない痛恨の極みと申し上げるほかございません。

平成二十三年九月十七日に開催しました平成二十三年度通常総会におきまして、特別積立金、法廷準備金より一億四千三百二十万三千円を取り崩しすることの承認を受け、次期繰越金をゼロとし、損失金を残さないで当組合として再出発を図ることとしたところであります。


2 震災後から漁業の再開に向けた取り組みと復旧状況について

私も大津波直後には余りの被害の大きさに、茫然自失の体でありましたが、私が落ち込んでは当組合の漁業復旧・復興は進みませんので、気を取り直し津波直後の三月十四日から組合員の協力をいただき、被害の大きかった地区内の中心漁港であります根白漁港を自助努力の範囲内で瓦礫撤去作業を早い段階で実施することができました。

私は、四月十二日に開催しました部落座談会でも「組合員もゼロからの出発であるので、一日も早く漁業の復旧・復興をするためには組合の全財産を使ってもいいという気構えのもとに取り組みしていきたい」、「小異を捨て大同につく」という考え方を基本として「個人のことよりみんなのことを優先させよう」ということを話したところでありますが、補助金は勿論必要であることはいうまでもありませんが、最終的には「組合の資金で全部整備する」という覚悟で、四月中に養殖資材の発注、漁船の修理を他の組合に先駆けて逸早く手配したことが、他の組合よりスピード感のある取り組みにつながっているものと思っております。

早期に養殖資材を手配したことによりまして、資材の納入も順調に行われ、ワカメの養殖施設百六十台(200M×2)も九月中には整備を終わり、この三月上旬からの刈り取りを見込んでおります。ホタテの養殖施設四十台(200M)の整備も十月中旬には終了し、早期水揚げを図るべき半成貝百二十三万個を北海道より搬入して、夏頃からの販売を見込んでおるところであります。

漁船につきましては、十月末までに六十四隻を確保することができまして、漁船の確保ができずにアワビ開口をあきらめた組合もありますが、十一月のアワビ漁には一隻に二~三人での「共同操業」により、キッピンアワビの復活のスタートをすることができました。

当組合経営を左右します「共同経営定置網漁」でありますが、横沼・大鮑漁場とも大半の漁網を流失し、震災直後は網の建て込みができるかどうか大変心配したところでありますが、回航のために大船渡湾に係留していた第十八吉浜丸が奇跡的に被災を免れたことから、被災を免れた漁網をかき集めて五月四日には仕事開始を行い、七月一日には横沼漁場が気仙地区の定置漁場のトップを切って水揚げをすることができました。

主力の大鮑漁場でありますが、大津波による被害が予想以上に大きく、全面的な土俵のやり直し作業を余儀なくされたことに加えまして、被災した第二十二吉浜丸に変わる中古ダンパツ船の進水が八月の予定から十月十七日の進水と大幅に遅れましたが、現場の迅速な作業によって十月二十一日からの水揚げを開始することができました。これで、津波前と同様二ヶ統の操業体制を整えることができました。

当組合のサケふ化場も全ての施設が壊滅的な被害を受け、ふ化放流事業の継続が危ぶまれましたが、その後の調査で取水ポンプや昨年補助事業を導入して整備しました壁面塗装した二十面の飼育池についても使用可能ということになりましたので、ふ化放流事業を継続実施することとし、平成二十四年春にサケ稚魚の放流が実施できるよう取り組みをしてきた採卵場兼ふ化場、給水施設及び電気施設と恒久的整備も含め、サケの親魚の捕獲場等応急的な整備は平成二十三年十二月二十日をもって完了しているところであります。

サケ稚魚を放流しなければ四年後にサケが帰って来ないということになります。サケが帰って来ないということは、共同経営定置漁場の水揚げ減少につながり、当組合の経営に大きく影響を及ぼすことは自明の理でありますことから、継続して放流するという当初の目的は達成することができたところであります


3 震災後一年が経過しようとしている現在思うことについて

一日も早く津波前の生産活動に戻れますよう無我夢中で現在まで復旧・復興にむけて取り組みをしてきたところであります。他の組合の取り組み状況は分かりませんが、マスコミの方々の情報等から判断するに、他の組合と比較して復旧・復興への取り組みは着実に進んでいるものと自負しております。今回の大津波では家屋の被害も人的な被害も他の地区より少なかったこと、所謂着の身着のままの状態での組合員が少なかったことが漁業の復旧・復興への取り組みの早さに繋がったことは否定しませんが、当組合の場合は「組合員が組合を信頼して組合の方針に対して全面的に協力する体制が構築されていること」、このことが他の組合よりスピード感のあるとりくみに繋がっている大きな要因であるとそう思っております。


4 漁業の復旧・復興に向けた課題について

平成二十三年度は当地区漁業の早期復旧・復興を最重点に取り組みをしなければなりませんので、補助事業を導入して当組合創立以来多額の事業費を計上して大津波で壊滅的な被害を受けた漁業生産施設の整備を図ることにしております。当組合としては漁業の継続を図るためには漁船の確保が第一の要諦でありますことから、漁船の確保に最大限の努力を行い、一人でも多くの人が漁業を継続できるように取り組みしなければならないと思っております。

今回の大津波によって、管内の中心漁港であります根白漁港を始め、管内市営漁港全ての防波堤等が損壊する等、壊滅的な被害を蒙っております。特にも管内全漁港とも今回の大津波では地盤の沈下が著しく、満潮時には物揚場と海面の高さが同じという状態にあります。台風、低気圧などによる大時化の際には漁港内は勿論のこと、船揚場にも漁船を置くことができない危険な状況にありますので、漁業生産活動に大きな支障となっておりますことから、早期に各漁港の復旧を図ることが焦眉の急となっております。

今回の大津波により、当組合でもワカメ養殖業者が七十一名から五十一名と二十名(28・2%)の減少、ホタテ漁業者は二十八名から二十四名(14・3 %)と微減ではありますが、減少しております。震災以前から当組合に限らず全国共通する課題でありますが、組合員の高齢化、漁業後継者の減少への取り組みが大きい課題であります。組合員の減少は水揚げの減少につながり、組合経営基盤の脆弱化が心配されるところであります。


5 漁業後継者への期待を込めて

「海がある限り漁業は永久に不滅である」というのが私の持論であります。海ある限り漁業は永久になくなることはありません。必ずや復活して往年の輝きを取り戻す時がきっと来ると信じて疑わないところであります。組合員皆様方の理解と協力を賜りながら、組合員に奉仕する気持ちを常に忘れずに全力を傾注して、一日も早く津波前の漁業生産活動に戻れますよう当地区の漁業の復旧・復興に向けて取り組んで参る所存であります。幸い当組合の組合員は組合運営に対する理解度は極めて高いものがあると思っておりますので、このことが漁業の復旧・復興への着実な取り組みにつながっているものと思っております。今回の大震災を契機に若い漁業者が「かっこよくて、感動があって、稼げる」希望の持てる「三K」となるよう、微力ながら取り組みして参りたいと思っておるところであります。

私達誰しもが忘れようにも忘れることのできない昨年三月十一日の東日本大震災・大津波から早いもので一年となりました。まさに「光陰矢の如し」の感を強くしておりますが、未曾有の大震災から一日も早く復旧・復興しようと組合員皆様方が一生懸命取り組んでおります。私も「復興計画」を立案した責任者として先頭に立って取り組んで参りたいと決意を新たにしておるところであります。今後とも、ご支援、ご協力を宜しくお願いいたします

津波体験記
間一髪の脱出
根白 小坪智幸
「あの日 あれから」
下通 欠畑時子
千年に一度の大津波の体験
千才 佐藤善公
思い出の津波石
下通 柧木沢正雄
養殖筏は消え防潮堤は
根白 渡部 寛
記憶をたどりながら…
千歳 水上和子
巨大地震と大津波に遭って
下通 柏﨑タホ子
海を相手に主人といっしょに
扇洞 柏﨑久美子
遙か遠く 奇妙な水中が
根白 白木澤行夫
あらためて先祖に感謝する日々
中通 柏﨑功夫
あの日
後山 山崎多喜子
直立した壁「津波」
扇洞 柏﨑博七
大六山林道を通って帰った
根白 白木澤行夫
吉浜の青い穏やかな海の眺め
増舘 菊地きみ子
震災後の大野公民館
大野 菊地正人
その時、根白部落は
根白 木村茂行
吉浜の農地復興を考える
大野 菊地耕悦
定置網大謀さんにインタビュー
根白 東 邦博
鍬台トンネルで停車した三鉄
三鉄 休石 実
[寄稿]組合の復旧・復興
漁協組合長 庄司尚男
[寄稿]吉浜の津波の歴史
郷土史家 木村正継
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