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吉浜の青い穏やかな海の眺めを 今でも好きです 増館 菊地きみ子

ヤクルトの配達員をしているのですが、その日は根白と千歳方面の配達日でした。九時半に家を出てから、診療所に行っている近所の叔母さんを迎えに行って、家に送り届けてから改めて出かけました。この日は、海もとっても静かで、みんなワカメの間引き作業に出ているようで、ヤクルトを配り歩いた家はほとんど留守でした。

一時過ぎに家に帰り、お金を下ろしに行かなければならなかったのですが、何となく気が向かなかったのでそれはやめて、カガンジョ(お寺のお札)配りをすることにしました。

お札を持って、二軒目の田端さんの家に行って「ごめん下さい」と玄関の戸を開けようと思った時に地震がありました。それが、「ドーーン」と来たような大きな揺れでなかなか止みません。その内に、田端さんのお母さんと娘さんも外に出て来たので、三人で手を繋いで震えていました。屋根が大きく揺れて目が回りそうでした。

そうしている内に、市の防災無線の放送が鳴り出し、「津波警報の発令」を話していましたが途中で途切れてしまいました。そのとき、下の港の方からは「ドーン、バリバリバリバリ」という音が聞こえてきたりしていましたが、津波が打ち寄せる時の音だったのか、そんな音を三回聞いたように思います。

揺れが収まってから、家が心配だったのでお札を配るのはやめて戻ってみましたら、特に損傷箇所は見あたりませんでした。

それで、改めて「公民館に避難しよう」と思って猫を入れる篭を探して入り口を開くと、二匹が我先と入りました。猫も相当に怖かったのかも知れません。猫の篭を持って木川田さんの家まで行くと、石垣が崩れていました。「藤井さんの家では屋根の瓦が落ちた」という話も聞こえてきました。「こんな大きな地震では無理もないかなあ」と思ったりしましたが、本当にお気の毒でした。

木川田さんの庭からは海が見えます。津波警報もあったので「津波が来るんでねえが」ということで、木川田さんの奥さんと藤井さんの奥さんと三人で海の方を見ていたら、根白の見たことがない海の底が赤黒く見えていました。「あららー、気持ち悪いごど」「やんたねえ」「おっかねえごど」などと話していると吉浜海岸の方から家の屋根が流れてきて目の前を沖の方に流れて行きました。その内に、不気味な音が聞こえてきて、見えていた根白の海の底が隠れ、防波堤から漁協の屋根まですっぽりと水に被われ、見えなくなってしまいました。もう、何が起こったのか訳が分かりませんでした。実は、木川田さんの奥さんも私も、日頃市の出身ですから「津波」のことなんて全く知らなかったのです。恐ろしくて震えが止まりませんでした。

夕方になって木川田さんの旦那さんが帰ってきました。何でも、吉浜川の川口橋が通れないので、「大六山林道」を通って来たそうです。それを聞きながら、主人の事が心配になりました。大窪山で木を切り倒す仕事をしているはずです。「木の下敷きになっているんではないか」と気が気ではなく、待つ時間が長く長く感じました。

それでも、五時過ぎになってやっと帰って来てくれたときは、身体の力が抜けていくようにホッとしました。やっぱり主人も木川田さんのように「大六山林道」を来たそうです。

この津波によって、増館では港にあった舟がみんな流されてしまいましたが、人は皆無事で、家が流されたり倒壊したりするというような被害もありませんでした。本当に良かったと思います。

ただ、どこも同じですが、電気、電話、灯油、ガソリン、そして食料が無くなり、生活の不自由が生じました。特に道路が無くなってしまったことが大問題でした。それで、次の日から男の人達が共同作業で崩落した土砂を除ける作業をしたりしましたが、「何でも自衛隊の人達が来てやってくれた」とも聞きました。

また、行政連絡員の藤井さんを中心にして、全国から寄せられる救援物資の配給も行われました。本当に感謝感激でした。

もう、あれから一年になります。あの時から「海にはもう行きたくない」と思いましたが、青い穏やかな海の眺めは、今でも好きです。吉浜ではまた、海の動きも出てきているようです。また、新しい希望が生まれてきているように感じるきょうこの頃です。

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