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あらためて先祖に感謝する日々 中通 柏﨑功夫

我が家は、県道(旧45号線)沿いにあります。目の前には沖田耕地・川原耕地が広がり、その先に防潮堤と松林に縁取られた吉浜海水浴場、そして太平洋の大海原が開けています。眺めは最高です。ここは、昭和八年の三陸大津波での被災後、復興地として、耕地から一〇メートルほどの高台に造成されたそうです。

昔は、この低くなっている耕地に我が家もあって、明治二九年と昭和八年の大津波では、例に漏れず家ごと流されました。三年前に亡くなったお袋は、「津波に足をさらわれながら逃げた」様子を話しながら、「津波への備えをしっかりしておくこと」を口うるさく語っていたものでした。

三月一一日、私は猪川に住んでいる孫(三歳)が来ていて、その相手をしていました。そこに大きな地震です。仏壇の水が零れたり、台所で茶碗が割れたりしました。長く続くので、家が倒れるのではないかと心配しながら、「孫に怪我をさせないように」と、妻と二人で長座布団をかぶせて揺れが収まるのを待っていました。

有線放送が「津波警報」を知らせていましたから、「逃げる準備をしろ!」と、妻に告げて外に出て海を見ていたら、五分位してから元の舟揚げ場の方から、海面が黒く盛り上がって来たのが見えました。海水浴場に下りる階段の所からは白い波が越えて来て田んぼに入って来ました。「これはすぐに逃げなければ」と思っていると、消防団の袢纏を着た公晴君が、「手伝ってくれ」と言うので、「おい、津波ぁ来てっつぉ」と言いながら恐る恐るついて行ってみると、床屋さん前で電線が垂れて、通れなくなったようでした。目の前に津波は来てるし、気が気ではなかったのですが、その電線を引っぱって持ち上げ、消防自動車を通してから、急いで津波記念碑のある高台への階段を上りました。後ろから波が迫るザワザワした音が聞こえてきましたので、恐怖で後ろ髪が突っ立つのを感じました。

妻は孫を背負って、記念碑の所まで先に来ていましたが、そこでも危険だと思い、妻の手を引いて、中通部落の避難所に指定されている中井ドライブインを目指しました。「いつ足をさらわれるか」と気が気ではありません。この間、一回も後ろを振り向きませんでした。

ゲートボール場の所まで来ると、二〇人位の人がいて海を見ていました。そこで初めて振り返ると、田んぼは一面水没し、「民宿キッピン」は屋根の部分だけが見えていました。

それから引き波になったとき、ガラガラという大きな音が聞こえ、大雨の時の川のように泥水となり、ものすごい勢いで流れていきました。

「家と車がどうなったろう」と心配だったので、引き波になった時、階段を下がって行って見ると、家も車も無事だったので、車を運転してもう一度ゲートボール場に戻ってきてみると、すぐに第二波が押し寄せてきて、今度はキッピンもすっかり見えなくなりました。「あああ」「よーしよし」みんな、声も出せず呆然と見ているだけでした。 

津波は七波くらいまでだったと思います。余震もあったりして、安心出来なかったのですが、日暮れには落ち着き、辺りが静かになりました。家に帰ってみると津波は入っていませんでしたが、道路の下に作った物置は、中に置いた用具ごと流されてしまい、田んぼや畑は土が流されて石ころだらけになっていました。そして、あちこちに船や養殖ワカメ・ホタテの資材、そして農機具等の瓦礫が散乱し、沖を眺めると目の前にあった防波堤と防潮林の姿は跡形もありませんでした。

この晩は、木川田運送でイサダを運んで石巻に向かった二人の息子(四日後に帰宅)と連絡がとれず、安否も分からぬまま不安な夜になりました。電気もありません。たった一人の孫を泊めることで気休めして、早めに布団に入り、妻と二人で挟んで寝ました。

吉浜では、明治と昭和に被災して、この高台に移り住んだということは前に書きました。その後、防潮堤も出来ていたわけですが、誰一人として低い所に移り住む人はいなかったそうです。お陰で、今回の未曾有の大津波でも、こうして被害は軽く済みました。あらためて先祖に感謝している毎日です。

津波体験記
間一髪の脱出
根白 小坪智幸
「あの日 あれから」
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千年に一度の大津波の体験
千才 佐藤善公
思い出の津波石
下通 柧木沢正雄
養殖筏は消え防潮堤は
根白 渡部 寛
記憶をたどりながら…
千歳 水上和子
巨大地震と大津波に遭って
下通 柏﨑タホ子
海を相手に主人といっしょに
扇洞 柏﨑久美子
遙か遠く 奇妙な水中が
根白 白木澤行夫
あらためて先祖に感謝する日々
中通 柏﨑功夫
あの日
後山 山崎多喜子
直立した壁「津波」
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大六山林道を通って帰った
根白 白木澤行夫
吉浜の青い穏やかな海の眺め
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震災後の大野公民館
大野 菊地正人
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根白 木村茂行
吉浜の農地復興を考える
大野 菊地耕悦
定置網大謀さんにインタビュー
根白 東 邦博
鍬台トンネルで停車した三鉄
三鉄 休石 実
[寄稿]組合の復旧・復興
漁協組合長 庄司尚男
[寄稿]吉浜の津波の歴史
郷土史家 木村正継
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